1973年、世界的に第一次オイルショックにて原油価格が1バレル3ドルから12ドルに上昇しました。当時のブラジルは原油の国内需要の80%を輸入していました。さらに海外からの輸入の約60%はアメリカからでした。そのアメリカがオイルショックから来るインフレを抑えるために、金利を20%近くに上げました。それによりブラジルは対外債務の支払いが増大し、輸入インフレとなりました。

 当時のブラジルはインフレによる損失をなくすため、インデクセーション制度(賃金・金利・社会保障費・企業資産・債権・債務などをインフレと連動させる) を行っていましたので、賃金や社会保障費・国債価額も増えてしまい、その支払いに充てるために紙幣を増刷してしまいました。

 そこでブラジル政府は外貨建て債務を返済するために、外貨獲得へ動き、輸入を減らし輸出を増やしたことで、国内の物不足が生じてさらにインフレは加速していきました。

 1986年2月、インフレを断ち切るため政府はインデクセーション制度を廃止し、価格の凍結・賃金の抑制・為替レートの固定をしました。しかし、物価に対して賃金が高止まりしてしまい、消費の活発化・物不足にて闇市などが盛んとなり、再びインフレは加速しました。

 1987年2月、対外債務の金利支払が出来ず、デフォルト(利払い停止) になりました。1988年に入ると一転してブラジル政府は緊縮財政に転換し、公務員のリストラ・法人税増税をしましたが、不景気になるもインフレは収まりませんでした。

 1989年1月に全ての物価・賃金・年金を凍結し、為替レートの固定化・国営企業の民営化・公務員の大リストラをしましたが、さらに物不足が進み、同年12月には月率50%(年1000%以上) を超えるハイパーインフレが起こり、そして1993年には年2500%のインフレとなりました。

 国内には米ドルしか流通しなくなりました。この8年間にブラジル政府は新通貨切り替えとデノミネーション4回(全部で2.75兆分の1) を行ない、新通貨レアルと米ドルを連動させるドルペック制度を取り入れたことでインフレは収まりました。